おじいちゃんの家

第一章


 一見、僕は貧弱で何の取りえもないような少年だった。
 でも、僕には「ココロノヤミ」がある。
 人は誰でも「ココロノヤミ」を持っている。僕はその「ココロノヤミ」がほんのちょっとだけ、多い。
 それが僕を護る盾となり、剣となることがわかったのは、僕が小学五年生の秋だった。

 僕はいつもの帰り道を通っていた。川沿いをしばらくいくと、裏道がある。
 表道を行ってもいいんだけど、僕はいつも、気づくと裏道に入っている。
 そんな何気なく入った裏道。
 右側は、錆びた鉄線で作られたフェンスの向こうに畑があり、左側は民家が並んでいる。
 そして、ちょっと進むと目の前に畑が見えてくる。そこを右に折れ、畑の中を通っていく感じ。
 その、「いつもは視線に畑が入る道の途中」で最初に見たのは、苔で汚れた壁と、地面に散らばっている割れたガラス片であった。
 お母さんにはいつも、割れたガラスは触っちゃだめよ、と注意されるので散らばったガラスを避けるように進んだ。僕がよく、ボールを投げてガラスを割るからだ。でも、今はそんなことどうだっていい。
 なんだろう、と思った。気になって割れた窓の中を覗いてみたりもした。
 でも結局、割れた窓越しに見たものは引越しの作業中なのだろうか、ダンボールが沢山山積みされているだけだで、特に変わった場所はなかった。
 ふと、足元のガラス片のひとつに何か黒いものが付いている事に気づいた。
 お母さんの言いつけより、好奇心が先行してしまい、ついついそのガラス片を手に取る。
 と、案の定指を少し切ってしまった。
「ツっ」
 皮膚を薄く切られた程度でも、僕の手からは赤い血が出てきた。
 怪我した時にはいつもするように、傷口を舐めようと目の前に手を持ってくる。
 そして、目の前に持ってきた手はまだ、あのガラス片を持っていた。
 ふと、自分の指から出ている血液――――――すでに空気に触れて黒く変色している――――――と、ガラス片についている黒いものを見比べる。
 ――――――そっくりだ。
 僕は傷口を舐めた。その次にガラス片についている黒いものを舐める。
「同じだ」
 僕は確信した。これは、血液だと。
 そこで問題なのは、これが「誰の」血かってことだ。
 地面の散らばっている他のガラス片には血はついていない。
 すると、出血量はそうでもないのだろうか。
 でも、そのときはまだ、僕は小学五年生の男の子だ。怖くなるのも仕方がない。
 僕は急いでその場を去ろうとした、が。
「おや、ぼうや。そんなところで何をしているんだい」
 ハッと振り返ると、初老のおじいちゃんが立っていた。
 頭は禿かかり、少し窶れ気味の顔で、半分寝たような目をしている。
 年齢に似合わず、スーツを着ていた。だが上着は来ていなかった。
「そんなガラスが散らばっているとこにいたらあぶないよ」
 と、言って、そのおじいちゃんは近づいてきた。
 まず、僕を見て(僕は手に持っている血の付いたガラス片を後ろに隠した)割れた窓のほうを見た。
「いやー派手に割れちゃってるねぇ。怪我はしてないかい」
 僕は突然話しかけられてか、警戒してかわからないが、口を開けなかった。
「あぁ……驚かせちゃったかな。ほれ、おじいちゃんはそこの家に住んでる者だよ。さっきガラスが割れるような凄い音がしたから見に来たんだよ。ほら、やっぱりガラスが割れてた。まだまだ耳には自信があってね。まぁ、あんなに大きな音を発ててたんだから気づかないほうがおかしいけどね」
 そんな事を言って自分で笑ってみせた。
「しかし、これじゃあここを通る人が危険だね。えぇと……たしか箒と塵取りは物置に入ってたなぁ」
 と、そんな事を言って自分の家の方に戻っていった。
 僕は、老人の目が離れた瞬間、手に持っていたガラス片を右側の畑の方へ投げ捨てた。
 だが、しまった、と思った。
 投げたガラス片が何かに当たって、コンっというような音を出してしまった。
 すると、耳に自信があると言っていたおじいちゃんがこっちに振り向いた。
「危ないから触っちゃだめだよ!」
 と、言って老人はこっちに戻ってきた。
 僕はとっさに先ほどガラス片を投げた腕をかばい、後ろに隠した。
「そっちの手はどうしたんだい」
 そう言って僕の腕をつかみ、自分の目の前に持ってきた。と、老人の指が先ほどの傷口に触れた。
 思わず僕は小さな声をもらす。
「……あれ、どうしたんだい……。ガラスで切っちゃったのかな」
 僕の顔を覗き込み、問いかけてきた。
「い、いえ……。今日の授業で、図工の授業でちょっと……」
 終始老人は無言になったが、口を開いて、
「……そうかい、気をつけるんだよ」
 と言って自分の家に入っていった。
 僕は、老人の家の扉が完全に閉まるまで、見送り、直ぐにその場を立ち去ろうと振り返った。
 その時、ふと、さっき自分で投げたガラス片が、畑の中に落ちているのを見つけた。
 低い木が何本も生えていて、わかりにくいが、ガラスが太陽の光を反射させていたので気づいた。
 そういえば、さっき、何かに当たったせいで音が鳴ったな、と思い、その先にあるものを見てしまった。
 ――――――生首があった。
 人間の頭がそこには転がっていた。横向きに、耳を地に着け、目を見開き、口を結んで。
 と、そこまで確認した時点で理性がとんだ。
 僕は急いでその場を走りさった。それも、無我夢中で。


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